22歳になったのをいいことに自分語りをするヲタク
今日で22歳になった。
22というと大人になったなあと感じるが、ここからあと5年くらいは誕生日の度に大人になったなあと思うんだと思う。
2014年から始めたTwitterは6年目に入った。少しは大人になれただろうか。いや、なれているはずがない。(反語)
来年には社会人になって本格的に大人になっていくと思いたい。その前に私の人生の軸とも言えるアイドルを推してきた歴史を振り返っておきたいと思った。
【もくじ】
幼稚園から小学校
ミニモニ
中学
AKB48(箱推し)
AKB48(地方組)
SKE48(箱推し)
高校
大学
日向坂46(箱推し)
〇幼稚園から小学校
ミニモニ(加護亜依)
幼少期で女性芸能人・キャラクターに興味を示したのは後にも先にも加護ちゃんだけだ。
と言っても、今のように推しメンの世に出た情報を全部拾おうとするようなガチガチのヲタクではなく、TVに出る推しメンと一緒に歌ったり、「小学〇年生」みたいな雑誌についていた加護ちゃんの黄色のポンポンをつけて園庭を走り回ったりするかわいらしいものだ。
当時のことは全く覚えていないが、推しメンの笑顔ととても楽しかったという感情だけははっきりと覚えている。
しかしそんな時代はすぐ終わった。
なんだかんだの事件を、両親は教育上良くないからと話し合い、私に隠すことに決めた。
幼い私はまんまと騙された。録画しか見れなくなったTVにも、「モーニング娘。って終わったよね」としきりに口にする母親にも、一切疑問を持つことなく、他のものに興味を惹かれているうちに次第に忘れてしまった。
真実を知ったのは小学4年生になってからだ。私はそのとき他のものが好きだったから絶望的にショックというわけでは無かったが、やはりもやもやとはした。
当時はそのもやもやの答えは出なかったが、今思えば2つの感情が原因だったのではないかと思う。
①自分が好きになるものを意図的に操作されていたという違和感
②自分の視界に入らないだけでずっと存在はしていると思っていたものがもう既に壊れていたことへのショック
この頃から、自分の世界の絶対的な神であった母親という存在に疑念を抱くようになった。
小学校でも感じていた孤立感を家庭でも感じるようになり、私は自分の中の感情と知識しかすがるものがなくなってしまった。
ただ一つここでの収穫があったとすれば、自分の好きなものは他人に影響されることなく自分でとことん追っていこうという意識が芽生えたことだ。
〇中学
AKB48(箱推し)
AKB48(地方組)
SKE48(箱推し)
林間学校でクラスの女子全員からハブられた。
気に入られていた先輩からいじめられた。
仲の良かった友だちが、私がいることに気付かず目の前で私の悪口を言っていた。
部活の顧問に「使えねえな」と言われた。
母に強制的に立候補させられ入った生徒会で男子にズボンを下げられた。
その男子に定規で胸をつつかれた。
教師に助けを求めるとなぜか私も一緒に後輩の前で怒鳴られた。
中学1年生のときから3位以内には入っていたテストの順位が1つ下がって4位になった。
次のテストも同じ順位だった。
その次のテストは18位だった。
死ぬ気で勉強したが元には戻らなかった。
母はそんな私を一日中怒鳴り続けた。
今思い出してもなんで投げ出さなかったのかわからないくらい、目に映る世界の全てがストレスだった。
他人に頼れるようなキャラじゃなかったため、ずっと一人で何もかも抱えていたように思う。
愚痴の吐き方すら知らなかった。
AKB48の「僕の太陽」が「デルトラクエスト」の主題歌だったこと知ってから、ずぶずぶとAKB48の沼に沈んでいった。
キラキラと輝いて歌って踊るAKB48は文字通り私の「太陽」だ。
嫌なことを思い出しながら、長い田んぼ道を「夕陽を見ているか?」を歌って帰った。
私にとって歌うことは、アイドルを脳内で再生することだ。歌えばいつでもアイドルが背中を押してくれた。
過呼吸になりながらも舞台に立ち続ける彼女たちの姿を見て純粋な感動だけではない感覚があった。
今思えば、あれは自分よりもつらそうにしている人間を見たことへの安堵だったのではないかと思う。
自分が世界で一番頑張っていると思っていた私は、自分より頑張る画面の向こうのお姉さんたちを見ながら、もうちょいいける、頑張れると自分を鼓舞していたに違いない。
そして、彼女たちに与えられたものの中で一番大きかったのは、仲間がいるような気分にさせてくれたことだ。
特にそれが顕著だったのが北原里英、指原莉乃、大家志津香、横山由依、小森美果などのメンバーからなる地方組を推していたときだ。
彼女たちはいつもバカみたいなことをして笑い合っていた。
ラップバトルという体裁だけ取られた大喜利大会、前田敦子卒業ライブを模しトロッコの代わりに段ボールを引き「夢の河」を流した小森卒業式、どれも私のいる現実ではやりそうもないユーモアにあふれたシュールな内容だった。
そんなわちゃわちゃを見ながら私は、その輪の中に入ったような感覚になっていた。
現実でどんなに孤独になっても、アイドルという世界の中でだけはいつも周りに笑顔の誰かがいてくれた。
私の心の穴の全ては埋められようがなかったが、首の皮一枚生き延びる元気をくれた彼女たちには本当に感謝しかない。
もう一つ重要な出来事としては、私はりのりえ(北原里英・指原莉乃)でカプヲタデビューを果たしたということだ。
遊ぶ度に大人っぽく女性らしくなっていく友だちの服装やついていけない学校内の恋愛事情に違和感を覚えていた頃だった。
今でこそ私はXジェンダーでレズビアンであることを堂々と言いまくっているが、(親にバレたら死ぬ)当時は自分が何が好きなのかあやふやなままにしていた。
こっそりと推しカプの百合小説を読み漁っていた。
大学生になっていろいろなジャンルを見ていると3次元百合とはなかなか業の深いジャンルだなあと思う。
現実に存在し主に男性に向けて活動をするアイドル同士の恋愛を妄想するだなんて。
しかもそれ百合というジャンルのデビュー戦なのである。
全く関係ないように見える話題だが、現実に存在しない誰かをアイドルで補っていたという点においては共通している。
前者は友だちを。後者は恋人を。
〇高校1・2年
自分より優秀な人が集まるクラスに入り、今までの努力は、恐怖は何だったのかと思うくらい両親とも勉強に関して何も言わなくなった。
私はその無関心に甘え、勉強を全くしなくなった。
劣等生のレッテルを張られ失うものがなくなると、今まで必死に作り上げてきた王国は笑ってしまうほど小さかった。
私をダメなやつという目で見てくる友だちと過ごす毎日は意外にも心地よかった。
好きな人ができた。
これは自分でも意外だったのだが、片想いでも自分の中の恋という穴は満たされいるようだった。
アイドルに友だちや恋愛の要素を求めなくなった私は、推しメンのNGT48移籍と同時にAKBヲタクから乃木坂ヲタクに移行していった。
理由は明白だ。クリエイティブを評価される環境がTwitterにあったからだ。
幸い勉強を全くしなかったので時間はあった。母親の学校生活への無関心と共に美術への苦手意識がなくなったことも相まった。
当時乃木坂のファンアートを描くヲタクは両手で数えられるほどしかいなかった。
ほとんどのヲタクが私よりも年上で、生意気な私でもかわいがってもらえた。
イラストをTwitterにあげれば数十、数百のいいねがつき、それまで満たされることのなかった私の承認欲求の穴を大いに満たしてくれた。
このとき創作するという行為が私の中で大きな要素になったことは確かだ。
余談だが勉強を全くしなかったのに地方国公立大学に入ることができたのはうまく美術系の学部に入り込むことができたからだ。
イラストを描くことに夢中になったのはあくまで趣味であり、あくまで偶然だった。それがたまたま自分の身を救うことになるというラッキーで一生分の運を使ったかもしれない。
推しメンの選び方の傾向も変わった。
絵を描くことが主軸のヲタクにとって雰囲気が画になるかどうかは無意識下で考えていたように思う。
こういうと失礼な話に聞こえるかもしれないが、顔が綺麗、雰囲気がかわいらしいというのも立派なアイドルの価値だ。
〇高校3年
初めて彼女を見たとき、自分と出会ったと思った。
もちろん容姿の話ではなく、内面の話だ。
彼女は生まれ育った環境を憎んでいた。そして今が人生で一番幸せだと、やっと自分を受け入れてくれる仲間に出会えたんだと語った。
カプヲタの私から見て、彼女は前述したもう一つの要素も持ち合わせているように見えた。
彼女の表現するものはアイドルという世間の言う垣根を越えて多くの人の心を動かした。
これらは私が幼い頃から喉から手が出るほど欲しがり続けた数々のものに違いない。
そして、彼女の語る言葉の多くは、私の価値観と深く合致していた。それがますます、推しメンと自分の姿を重ねさせた。
本当に気持ちの悪いヲタクで申し訳ないが、もう一人の私の光の姿だと思って見守っていた。
彼女が幸せにあることで闇サイドのヲタクは報われていた。彼女が未来永劫ずっと幸せでいることが私の願いだ。今も。
この頃がヲタク人生で一番ヲタクしてたと思う。仲間、恋愛、創作の3要素がすべて満たされた上、現実にも仲良くしてくれるヲタクができて私の人生順風満帆といった感じ。
この頃を思い出すと懐古厨にならざる負えない。本当に楽しかった。
〇大学1・2・3年
日向坂46(箱推し)
大学に入ったら自由になれると思っていたが、そうでもなかったらしい。
やっと親の目を離れてイベントに行くことができると思ったら、握手券を買った日程の前日に馬鹿が発煙筒を持って推しメンの握手ブースに入り事件になった。
それ以降推しメンが握手会に出ることは無かった。
これを機に推しメンが完全にダークサイドに堕ちたことも相まって一気にアイドルへの熱が冷めてしまった。
私の世界はアイドルと私の世界であって、知らんよくわからん奴に侵されていいものではない。
ただ冷めたと言っても、狭く深くだった守備範囲が広く浅くに変わっただけでずっとヲタクではあったが。
モテたいという気持ちが強くなり、恋愛の側面が大きくなった。
きょんあや(齋藤京子・高本彩花)は「Re:mind」という神ドラマで一気に注目した。あと純粋にお顔が好き。
それに加えて、お笑いという要素も重要になってきた。
NMB48の「げいにん!」を初回から全部見直した。
オードリーがMCを務める「ひらがな推し」「日向坂で会いましょう」は毎週の楽しみだ。
大学に入ってからは比較的ライトな推し方が長く続いた。
それは長く続いた現実の大きなストレスから脱したことを示していたのかもしれない。
いつの間にかアイドルを推すことの方が、私にとってのストレスになっていた。
〇大学4年 現在
就活、採用試験勉強、卒業研究の3本建てがマジでしんどい。恋人がいないのも大きい。22にもなって。不安の中でも焦りが圧倒的に大きい。
大学入学ごろからの広く浅くの中にいたゆうなぁがある日突然大爆発した。
アイドルにのめり込む感覚を久しぶりに味わい、大学入学からのヲタク活動が広く浅くなっていたことをそのとき再認識した。
ゆうなぁに関しては現在進行形で推しているため、いつか卒表し次のアイドルを推すようになったときに語れたらと思う。
ここでゆうなぁのよさについて1から100まで言語化してしまうと、表面化された理屈に引っ張られて感情が後付けになってしまう懸念がある。
アイドルヲタクになって10年になる。死にたくなるほどの不安を感じたとき、助けてくれるのはいつもアイドルだ。それほど私の日々はアイドル中心に回っていて、その時々によって強弱はあるものの、アイドルが自分の心の核になっているということははっきりしている。
アイドルと自分の内面だけだった世界は今、アイドルをきっかけにしたたくさんのもので埋められている。
あとは恋人さえできれば完全無敵のヲタクになれるのだろうが、それはまた先の話になりそうだ。
22歳は人に好かれるヲタクになるぞ。
おわり。