雑記

だれか見てください

アイドルヲタクと伝わらない価値観

世の中に優れた楽曲は五万とある。メロディーや歌詞、楽器の演奏スキルなど、基準を挙げればキリがないし、大切な要素は人によって違うため、一概にどの楽曲が一番だとか、ダメだとかは語れない。歌やダンスが1番の人がみんな好きなら、世界中マイケルジャクソンのファンになればいい。

 

人によって感じ方が違うというのは当たり前のことだが、人によって、ものの評価の基準が違うということは忘れがちなのではないかと思う。

 

アイドルは他の歌手よりも劣った存在だと思っている人もいるだろう。確かに、歌もダンスを売りにしているアーティストと比べれば実力は足りないかもしれないし、顔も女優やモデルと比べれば特別感はないかもしれない。私にとっては何と比べようとも前に出る者はいないが。ではアイドルを好きな人は何を評価して何を好きになったのか。もちろんこれだけが答えだというわけではないが、私は少なくとも「物語を作り出す力」においては強いものを持っていると思う。

 

かつてAKB48が国民的アイドルとして1つのカルチャーとして日本に君臨していた時代、彼女たちは大人たちに追い込まれ、それに立ち向かうという形で物語を作った。総選挙やライブ、組閣発表、すべての活動に何台ものカメラが逐一ついて回り、彼女たちの物語を記録した。そして、それらをある種の感動物語として映画化する。10代から20代前半の華奢な彼女たちが必死に目の前の物事に立ち向かう姿は人々の心を打った。

 

そんな物語がはっきりと姿を現すのが、パフォーマンスだ。裏ではかわいらしくふざけあったり、泣いたり、過呼吸になったりしていたアイドルが、表舞台に立った途端、表情が変わるのだ、その瞬間、彼女たちは人間としてではなくアイドルとしてファンの前に立つ役者となる。今まで積み重ねてきた、ファンに垣間見せてきた努力が、舞台上で一瞬カチッとはまる瞬間がある。世界がその子を主人公とした物語だったかのように、綺麗に物語が完成する瞬間がある。私は、ヲタクはこの瞬間の虜になっているのではないだろうか。

 

物事に優劣をつけて楽しむ時代は終わりに向かっていて、例えば「優勝する」という言葉は、近年「1位になる」という意味だけではなく「ものすごく良いことをする」という意味で使われる機会が特にネットスラングとして普及し始めている。自分にとって大したことのないことも、誰かの価値基準の上では最強で、でもその理由をうまく説明できる語彙や機会が足りないだけだ。

 

小学校高学年くらいから、子どもたちは自分の好きな歌手や芸能人、ユーチューバーなどが決まり出す。私もその時期に同級生の女子が大好きだった嵐を卒業してAKB48が好きになった。当時生活記録にそのことを書くと教師にドン引きされたことがあった。ここで言いたいのは、いくら世代間ギャップやものさしの違いで理解ができなくても、その子どもにとっての最強の人を好きになっているということだ。私はいつもつい自分の価値基準で物事を見てしまう。でも、せめて他人に対してだけは、相手の価値基準を理解できる存在でありたい。